「板金屋」と聞いて、屋根や外壁の工事を思い浮かべる方は多いのではないでしょうか。
富山県で創業107年を迎える吉岡板金工業所は、建築板金を主力としながら、その技術や経験を金属アート、外国人材の育成へと広げています。有限会社吉岡板金工業所代表取締役の吉岡智佳社長に、事業を広げてきた理由と、次の100年に向けた思いを伺いました。
――建築板金以外にも様々な事業を展開されていると伺いました
――吉岡板金工業所は、どんな仕事をしている会社なのでしょうか
吉岡板金工業所は、富山県で創業100年を超える建築板金の会社で、私は4代目にあたります(2026年時点で創業107年)。建築板金とは、金属の薄い板を使って住宅や工場の屋根・外壁に建材を取り付け、中の住環境を守る仕事です。建物一棟をまるごと建てるのではなく、主に屋根や外装の工事を担当しています。
――100年の歴史のなかで、受け継がれている価値観や考え方はありますか
見えない部分にこそ手をかけるという考え方でしょうか。北陸は雪が多く、屋根や外壁にとって厳しい気候です。だからこそ建築板金は他の建材より耐久性が高く、この土地に合った建材だと思っています。
普通に施工しても十分な耐用年数は出ますが、万が一いちばん上の層が破られても、下の層、さらにその下の層で守れるように、ひと手間もふた手間もかけているのです。雨漏りしにくく、見た目や排水もいい施工を心がけています。
それを可能にする理由のひとつが施工図です。
板金がどう取り付けられ、どう納まる(ピッタリ入る)かを断面図で示すことで、業者さんと図面を見ながら共通の理解を持って仕事を進められます。弊社のように板金の施工図を書いて提出してから工事に入る会社は、全国的に見ても少ないです。
価格についても最初にしっかりと決めた金額の中で精一杯やります。後から追加を重ねる、後出しじゃんけんのような進め方はしない。そこはお客様に安心していただける部分です。
屋根の技術が、アートになる。広がり続ける板金の可能性
――建築板金以外にも様々な事業を展開されていると伺いました
今までの建築板金で得た経験を踏まえ、新しい取り組みをいくつか始めています。ひとつは、建築板金の技術を活かした金属アートです。これは内装向けの建材として金属のインスタレーション(空間全体を使って構成されるアート作品)を制作する事業です。
もうひとつは、人手不足を背景とした外国人材の受け入れで、そこから日本語教育や登録支援機関の設立にもつながっています。建設業は人手不足で、若い人が少なく、中途採用者もなかなか育たないことから、外国人材に着目しました。
――事業を広げていくなかで、大切にしている軸や判断基準はありますか
目的は一貫していて、建築板金を広めたいという思いです。今取り組んでいるいくつかの事業も、いずれもその手段のひとつだと考えています。いろいろな手法や事業を通じて、建築板金が皆さんに見えやすく、感じやすい形で届くことを目指しています。
そのひとつが金属アートです。同じ板金の技術を、屋根や外壁だけでなく内装の建材としても活かす取り組みで、届け方を変えることで建築板金の可能性を広げる手段のひとつだと考えています。
――金属アートは、どんな経緯で始まり、どこで採用されてきたのでしょうか
建築板金の仕事は、元請けさんの下で動く下請けの立場になりがちです。元請けさんに仕事がなければ私たちの仕事もありませんし、競合他社とぶつかれば値下げ競争になる。そうした構造にずっと課題を感じていました。
そこで考えたのが、金属を自由に加工する技術を活かすことでした。他社があまり手がけていない内装向けの高級な建材を開発したのです。新しい建材を探している設計士さんにも興味をもってもらっています。
金属アートの代表例が、ホテルのエントランスの内装です。空間の一部を飾る建材としてお使いいただきました。空間を演出する建材として、今までにない見た目や雰囲気を生み出せますし、下請け構造から離れて、設計士さんやデザイナーさんと直接つながれるのも大きな違いです。
デザインは外部のデザイナーや設計士に委ねることで、私自身は製作に専念できています。飲食店やものづくりの会社など、これまで縁のなかった業界ともつながれる可能性を感じていて、そこは楽しみにしている部分です。
外国人材の受け入れ・教育で国境を越えて、ひとつのチームに。共生のかたち
――外国人材の受け入れに踏み出したきっかけは何だったのでしょうか
最初に外国人と関わったのは、静岡で自動車の製造会社に勤めていたころです。多くの中国人が勤めていて、休日のたびに中国語を教わったりしながら交流していました。そうして時間を重ねるうちに、外国人に対する抵抗感がなくなっていったのだと思います。
家業に戻ってからは、3年で帰国する技能実習のビザしか知らず、なかなか外国人材の採用に踏み出せずにいました。
転機になったのが、富山県が行っていた、高度人材を海外から呼び込む事業でした。大学卒業以上の高度な人材は在留期間に区切りがなく、長く働いてもらえる可能性があると知り、この事業に参画して、初めて外国人材を雇用しました。
ただ、初めて雇用した外国人材は1年半ほどで離職してしまいました。実際に受け入れてみて初めて、自社の体制や仕組みの側に見直すべき点があると気づかされたのです。あわせて特定技能2号(熟練した技能を持つ外国人が日本で長期就労できる在留資格)に移行することで、長く働いてもらえる可能性があることも分かって、外国人材の育成にも継続して取り組むようになりました。
――言葉や文化の違いを越えて、チームの一体感を感じるのはどんな場面ですか
現場では、今フィリピンとインドネシアの2か国から来たスタッフが働いていて、日本人と合わせて3か国のメンバーが同じ会社にいます。休憩中のちょっとした会話で、お互いの文化や知らないことを知れるのが楽しいようで、雰囲気は本当にいいですね。
漢字の練習のために日報を書いてもらったり、逆に英語が得意なフィリピン人に英語を教えてもらったりと、チームで教えあいながらいろいろな文化を学べる環境が、うちのチームワークの良いところです。
次の100年の姿は、まだ誰にも見えない。人を育て、長く続く会社へ
――板金という仕事は、これからどうなっていくと考えていますか
建築板金は、これからも人の技術が必要とされる仕事だと考えています。古くは平安時代、神社仏閣の高級な建物に使われた薄く延ばされた銅板から始まっています。現在の鉄板を用いた建築板金は明治維新のころに使われ始めました。
当時、庶民の家では瓦ではなく茅葺(かやぶき)の屋根が主流でした。そこへ蒸気機関車が走るようになり、煙突から舞い散る火の粉が茅葺の屋根に落ち、火災が相次いだといわれています。そこで不燃材料の使用を求める法令ができ、金属が使われ始め、改良を重ねて今の建材になりました。
建築板金は、ロボットやAIに置き換わりにくい仕事だと言われています。建物ごとに形も角度も大きさも違いますし、屋根のように上から一枚で覆うような作業はロボットではできません。台風や強風、雨にさらされる一番外側の場所で機能する建材だからこそ、人の手で仕上げなければ住環境を長く保てないのです。
富山県は全国でも持ち家率が高い県で、人口が減っても住宅の総数は少しずつ増え続けています。新築の着工が減る一方で、リフォームの需要はこれからも見込まれると考えています。
――次の100年に向けて、どんな会社にしていきたいと考えていますか
もともとは家業を継ぐのが当然のポジションだと思っていて、それが敷かれたレールのようで嫌でした。それでも巡り巡って会社に戻り、建築板金は素晴らしい仕事だと気づいてからは、宿命ではなく使命としてこの仕事を広げていこうと思うようになりました。
私が次の100年を見届けることはできません。いずれは誰かにバトンタッチすることになります。辞めるのは簡単ですが、長く続けていけるように手を打っておきたいと思っています。
社員を増やし、教育する仕組みをつくり、売上を上げながら、地域で長く愛される会社にしていくために、今の代でできることをやっていくつもりです。
「どうせやるなら楽しい仕事がいい」4代目が伝えたい板金の魅力
――4代目として、次の世代にも残したいと考えているものは何ですか
建築板金は本当にいい建材ですから、もっと広まってほしいという思いは、先代も同じだったと思います。衣食住の「住」に関わる部分ですから、良い建材、良い住まいが供給されることは、私たちの事業の継続的な発展にもつながります。
私自身、これまでいろいろな道を経験してきましたが、最終的に家業に戻り、この建材が一番いいと思いました。建築板金を広めていくことを、これからの人生のテーマにしています。
――最後に、この記事を読む方々へ、ひとことメッセージをお願いします
弊社は富山県で建築板金を営む、100年を超える企業です。建築板金という仕事を知らない方でも、ご自宅の屋根が瓦でなければ、その半分が建築板金の仕事だと想像していただけると思います。建築板金は、過酷な環境にさらされる屋根を通じて、日々建物を守る仕事です。
それを100年以上続けている会社に、外国人スタッフもいて、社長がいろいろな事業をやっている。そんな面白そうな会社なんだと伝わればうれしく思います。どうせやるならつらい仕事より楽しい仕事がいい。
鉄を扱う業種の中でも、建築板金は板が一番薄く、自分の手で金属を切ったり加工したりできる、手触りのある仕事です。そこに本当の魅力があると思っています。建築板金に少しでも興味を持っていただけたら、お問い合わせください。存分にこの仕事の魅力をお伝えします。
有限会社吉岡板金工業所 代表取締役 吉岡智佳(よしおか ともよし)
富山県富山市に本社を置く建築板金会社の4代目。静岡県の自動車製造業で働いた経験を経て家業に戻り、現在は建築板金を主力に、金属アートや日本語教育、外国人材支援など複数の事業を手がけている。
